皆さんはどん底に落ちてしまったようなの気分になったことはありますか?
私は何度かもう立ち上がれない、このまま消えてしまいたいというどん底の気分を味わったことがあります。
どん底といっても、私の場合段階があり
ちょい底
そこそこ底
どん底
というように3つの段階に分かれています。
まず、初めてうつ病と診断された7年前。私はちょい底の状態でした。
大学卒業後、地元に戻り中小企業に就職して営業として働いていました。周りから営業は合ってないと何度も言われましたが、そこくらいしか働ける場所がなく反対を振り切って就職しました。
結果、就職して10ヶ月でうつ病を患い、2週間お休みをいただきましたが、続けられず1年で転職することとなりました。
この時は、辛かった。でも2週間休めば少しは良くなり、仕事は続けられませんでしたが翌年度の4月から別の場所ですぐに働き始めることができました。
次に落ちたのはどん底です。
4月から働き始めた職場は事務の契約社員で責任もそこまで重くなく、上司に怒られるようなこともなく平穏に働けていました。
ただ、その年に長年お付き合いを続けていた今の旦那さんと結婚し、生活環境が一転しました。
新しい生活環境に慣れることができず、仕事は続けていましたが、心身共にボロボロになっていました。
新婚生活を始めて4ヶ月程で私は旦那さんやその家族に向けて遺書を書き、普段は飲むことのない缶ビールのロング缶を買いました。(限定の桜缶だったことを今でも覚えています)
住んでいたアパートにはなかなか通院できないかもしれないと処方してもらっていた60錠ほどのてんかんの薬がありました。
それをビールで飲み干しました。
後から先生に聞いたところによるとこの量で死ぬことはできないらしいです。(絶対に真似しないでください。私の主治医はそう言っていましたが、実際の保証はありません)
でも、私は死にたくて飲みました。結果は気持ち悪くなり吐いて、旦那さんに薬を飲んだことがバレてしまい付き合ってきて一番と言えるくらい怒られました。
今思えばなんてことをしているんだという話ですが、その時はそうするしかなかった。まさに私はどん底にいました。
そのまま契約期間が終了したこともあり仕事を辞めて今までずっと専業主婦をしています。
今でもよく死にたくなります。でも、子供も2人生まれ、死ぬことはできません。
何より死んではいけないと普段は思っています。
それでも、やっぱりどうしようもなく辛くなってつい最近は自分のスマホを投げ捨てて壊しました。
もしかしたらこんなブログを始めるより治療を優先しろと思われる方もいるかもしれません。
子供のことを第一に考え、早く病気を治せと言われるかもしれません。
もちろん治療を優先し、病気を少しでも早く治せるように努力していきたいと思っています。
けれど、それだけでは弱い私は心が折れてしまいそうなのです。
だからブログを始めました。
ここでどうしてここまでうつ病が長引いてしまっているのか、サブタイトルにもつけた毒親とはどういう親なのか、そんな過去や現在のことを語りながら少しでも私と同じだと毎日必死でどうにか生きているんだという方の微力になれるようか活動をしていきたい、それが私の生きる力になるのではないかと考えています。
私は実家に居場所はありません。
実を言うと現在の住まいにも本当の意味での居場所は見つけられていません。
そう思っている人がもしかしたら私以外にもいるかもしれない。
ここを1つの居場所にとまでは言いません。
プロフィールにも書いたように東屋的な、一度記事を読んで、またどこかに進んでいき苦しくなったら休憩しに戻ってこれるような場所にしていきたいと思っています。
そう1人でも思ってくれる方が現れるまではブログを低空飛行で続けていこうかな。
現れなくてもいつか自分が見返した時、こんな人生を歩んできたんだなと思い返せるように少しでも多く思ったことを書き残していきたいと思います。
どこまで続くか分かりませんがお付き合いいただけると幸いです。
それではまた次回お会いできることを楽しみにしています。
ありがとうございました。